知床 旅情

知床旅情とは

知床旅情は歌で、作詞作曲ともに森繁久彌。1960年の映画の撮影で知床に滞在しているときに作られた。1962年の紅白歌合戦では、森繁久彌本人が歌った。10年後の1970年に加藤登紀子がカヴァーし、B面だったのが、シングルカットされて、再び人気が出て、大ヒットとなる。また、加藤登紀子はこの曲で初めて紅白歌合戦に出場することができた。1969年には日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。41回紅白歌合戦でも、加藤登紀子が知床旅情を歌い。長年愛され続けてきた歌だということがわかる。この歌の最初の題名は「サラバ羅臼」でした。またこの歌のおかげで、知床の観光ブームにも火をつけたとか。最近では地元の若者のグループがロック調でカヴァーして歌い続けている。

2004年から、知床旅情のメロディーは道路でも聞くことが出来るようになりました。標津町(しべつちょう)にあるメロディーロードというところで聞くことができます。

知床旅情の歌詞

知床旅情の歌詞にはピリカが笑う。という部分がありますが、ピリカってなんだろう?と思った人が多いのではないでしょうか。ピリカというのはアイヌ語で『美しい』という意味です。森繁久彌はこのピリカという言葉を美しい娘という意味で、書いたのです。知床旅情の歌詞には加藤登紀子さんが歌った場合の歌詞と、森繁さんが歌った場合ですこし歌詞が違うみたいです。たとえば、2番目の歌詞で、『今宵こそ君を』とありますが、『君を今宵こそ』となっているところもあります。他には「羅臼の村にも」は「知床の村にも」になっているところもあり。実際に本当の歌詞はよくわからなくなっている。その理由は森繁さんが、加藤登紀子さんに歌を提供する際、少し変えるように指示したとか。しないとか。理由は定かではないのですが。それにしても、この歌は別れの歌なので、少し悲しくさせます。皆さんも知床旅情を聞きに、標津町に足を運んでみてはいかがでしょうか。